はじめに
みなさんが受け持っている子は、考察を書くのが得意ですか?
自分が受け持っている子は、昔は考察を書くのが得意ではありませんでした。そして、自分もそういった子たちへのアドバイスがなかなかうまくいかず「なんでできないの?」「どうしたらできるようになるの?」って落ち込むことが多々ありました。そんなとき、当時の教頭先生から
ぼん先生は、この文章題に対する理想解はなんだと思う?
と言われて、ハッとした記憶があります。この言葉を受け、子どもに力をつけたいのであれば、指導者である教師自身が具体的なゴールイメージしておかなければいけないんだなと強く感じました。
そして、いまでは理想の考察を思い描き、それを型として言語化し、子どもたちに提供したところ多くの子が考察をかけるようになりました。考察は、型を示すべきだと思っています。ということで、今回は、考察について紹介します。
考察を書かせる際の課題点について
自分が考察の型を使う前は、「結果から考えたことはなんですか?」とか「結果からわかったことはなんですか?」っていう風に発問をしていました。でも、このやり方だと…
1.課題とズレてしまう子がいる
2.結果と考察の区別ができない子がいる
といった2つの弱点があるんです。
課題とズレてしまう子がいるについて
理科って、課題について問題解決をする教科だと思うんです。ということは、考察って何でもありというわけではなくて、まずは課題に対する答えを書くのが大事だと思うんです。でも、「結果から考えたことはなんですか?」「結果からわかったことはなんですか?」と聞くと、その意識が薄れちゃうんです。分かったことや考えたことなら何でもオッケーみたいになってしまって、課題とズレたことを書く子が出てしまうんです。
結果と考察の区別がわからなくなるについて
自分は、「結果は目で見たこと、考察は考えたこと」って教えているんです。これで分かる子は良いんですけど、全員がこれで分かるわけではないんです。
例えば、「100回巻きのコイルだと平均でクリップが1個つく」という文。これは、結果でしょうか?考察でしょうか?
自分は、クリップの数は「目」で確認しているから、これは「結果」だと思うんです。でも、子どもたちはこれをまるで考察のようにかいてくるんです。「結果からわかったことは何ですか?」→「100回巻きのコイルだと平均でクリップが1個つくと分かった」といったようにです。これをしだすと、子どもたちは、結果と考察の区別ができなくなるんです。じゃあ、何が悪いのかというと、「結果からわかったことはなんですか?」という発問が悪かったんだと思うんです。
考察で使っている型はズバリ…
実は、自分も、「課題とズレてしまう子がいる」「結果と考察の区別がわからなくなる」というのには、長年悩まされました。そして、色々な理科先生に聞くと、あることが分かったんです。それは、
考察のときに、型を使わせている
ということです。自分は、型ってすごく毛嫌いしてたんですけど、みんなが型をつかっていたので、一回試しでやってみるかと思ってやってみました。
じゃあ、どんな型をつかったのかというと
〇〇をした結果、△△になったので、×××と分かった
です。
〇〇には、実験方法が入ります。例えば、「コイルの巻数を100回巻きと200回巻に変えて、クリップがつく数を調べた結果」といった感じです。
△△には、結果が入ります。例えば、「100回巻きのコイルは平均で1個取れて、200回巻きのコイルは平均で7個取れたので」といった感じです。
×××には、分かったことが入ります。例えば、「コイルの巻数が多いほうが、電磁石は強くなると分かった」といった感じです。
つまり、「考察かいてみて」と言ったら、子どもたちは
コイルの巻数を100回巻きと200回巻に変えて、クリップがつく数を調べた結果、100回巻きのコイルは平均で1個取れて、200回巻きのコイルは平均で7個取れたので、コイルの巻数が多いほうが、電磁石は強くなると分かった
といった感じになるということです。
型のメリット
おもしろいことに、型を試してみると、「課題とズレてしまう子がいる」「結果と考察の区別がわからなくなる」という悩みが一発で解決されてしまったのです。
「課題とズレてしまう子がいる」については、「分かったことを書いて」と言ったら、たくさんかけたほうがいいという価値観になってしまうみたいです。だから、どうしても数を増やそうとすると、課題とズレたこともかいてしまいます。でも、「(型を教えたうえで)考察書いてみて」と言ったら、課題に対する答えを正しく書けているほうがいいという価値観になるみたいです。だから、課題からズレることがぐっと減りました。
「結果と考察の区別がわからなくなる」については、結果と分かったことの両方を書かせることによって、2つの区別がつくようになりました。例えば、先程の「100回巻きのコイルだと平均でクリップが1個つく」っていうのを結果ではなく、分かったことに書いてしまうと結果が埋められないことに気づきます。すると、「100回巻きのコイルだと平均でクリップが1個つく」っていうのは、結果なんだなとわかるようになります。
さらにレベルが高い考察とは…
今、チャレンジしていることは…「論理語」を使わせた考察を書かせることです。論理語とは、「このことから」「少なくとも」「きっと」といった言葉のことです。例えば、「本当に実ができるために受粉がひつようなのかな?」という課題に対する考察だと…
受粉ありと受粉なしで実験した結果、受粉ありは4班中3班が実ができた。このことから、実ができるために受粉が必要な可能性が高い。また、受粉なしだと4班中4班が実ができなかった。このことから、少なくとも受粉しないと実ができないと言える。4班の受粉ありで実ができなかったのは、きっと、雌しべにつけた花粉の量が少なく、受粉しなかったからなのかもしれない。だから、花粉をいっぱいつけると、実ができると思う。
といった感じになります。この考察には、「実験方法」も「結果」も「考えたこと」もあり、さらに「なぜうまくいかなかったのか」そして、「次回何をしたらいいのか」といったことも入っています。こういった考察がかければ、次時で行いたいことがはっきりしているので、それを行えばいいということです。これこそ「主体的な学び」だと思います。
終わりに
考察の型を試してみて、自分は型を使うべきだなと心から思うようになりました。「分かったことを書きなさい」っていうのは、一見子どもに自由を与えているようですが、見方を変えたら、考察の書き方を教えてないってことにも思います。
私達が教えている子は、将来研究者として新しい発見をするかもしれません。その時、「自分は、本当にAなのかを調べるために、Bという実験をした。そしたら、Cという結果が出たのでDであると考える」という風に、根拠を明確にしながら説明しないと納得してくれないですよね。そういう立場に立ってみたら、型を示すのも悪くないのかなと自分は考えます。
そして、型が身についたおかげで、子どもたちは、実験が終わると勝手に考察を書くようになりました。自分は「教師の出ない授業」を目指しているので、この視点からも型は必要だなと思うのです。
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