理科専科が見方・考え方を解説! 〜『比べる』とは〜

問いを見いだす/比べる

初めに

 教師ならだれしもが、聞いたことある言葉『見方・考え方』。これは、深い学びにするためには欠かせないものであると思います。ところで、みなさんは学習指導要領を読んでみて、『見方・考え方』を理解できましたでしょうか?

 正直言うと「分かるようで分からない」というのが皆さんの感想ではないでしょうか?少なくとも自分はそうです。じゃあ、なぜわからないのかというと、それは、子どもたちが「見方・考え方」を働かせている姿が具体的にイメージできていないからではないでしょうか?

 自分も学習指導要領の言葉が理解できるように、日々努力をしていますが、正直完璧には理解できていません。ただ、「自分は、こんな風にやっているよ」っていうのはお届けできると思います。もしかしたら、おかしなところもあるかもしれませんが、1つでも参考になれば幸いです!今日は、3年生の『比べる』です。

自然体験をさせて、「疑問に思ったことをかいてごらん」ではダメな理由

 3年生でつけたい問題解決能力は、「問いを見いだす」です。では、なぜこれが一番最初なのでしょうか?それは、問題解決のプロセス(疑問→予想→実験方法を考える→実験・観察→結果→考察)に起因しているのだと思います。まず疑問がなければ、何も始まらないということですね。

 じゃあ、どうすれば問いを見いだすことができるのでしょうか?多くの人がやるのは、自然体験をさせ、「さあ、疑問に思ったことをノートにかいてごらん」といったやり方です。例えば、3年生であれば、植物の学習で学校の周りを探索して、「さあ、疑問に思ったことをかいてごらん」といった感じです。ただ、このやり方はあまりよくないと自分は考えています。

その理由はたくさんあるのですが…

1.問いの見出いだし方を学べていないので、一向に「問いを見出す力」がつかないから

2.解決不可能な問いも出てしまうから

3.子どもの意見が拡散しすぎるから

などがあります。

 子どもはとても素直なので、解決不可能な問いもバンバン出してきます(笑)例えば、「どうしてタンポポは、タンポポって名前なのかな?」等です。そのときに、教師はどうするのかと言ったら、学習指導要領に関係ないからという理由で、確実に切っていくと思います。でも、子どもたちは、先生に言われた通り「疑問に思ったこと」を書いたのですよ。それで切ってしまうのはいかがなものでしょうか。

 じゃあ何が悪いのかというと、自然体験をさせた後に、「疑問に思ったことをかいてごらん」という教師の指示が悪かったに違いありません。

 つまり、問いは何でも良いわけではないのです。解決可能な問いを見いだすことができるようにしなければならないのです。そのためには、教師が、やり方を教えたり、実際にやらせてみたり、価値づけしたりしながら地道に鍛えていくしかないのだと思います。

何と何を比べるの?

 問いの見出し方を教えるときに、1つのキーワードとなるのが「比べる」という考え方なのだと思います。では、「比べる」とは、何と何を比べさせるのでしょうか?自分の中では3つあります。

1.自分の意見と友だちの意見を比べる(友達とのズレ)

2.教材と教材を比べる(教材同士のズレ)

3.自分のイメージと教材を比べる(イメージとのズレ)

です。この3つのどれかを教師は意図的に環境整備することで、子どもたちは「比べる」という考え方を働かせ、「問い」を見出します。そして、それを繰り返していくうちに、子どもたちは問いを見出す力(何かと何かを比べることで問いを見つける)がつき、自然現象でも使えるようになるといった感じです。

「自分の意見と友だちの意見を比べる」とは

 いちばん簡単なのは、「自分の意見と友だちの意見を比べる」です。例えば、『チョウをみたことがありますか?」と問えば、どの子も「はい」と答えます。その後、『では、チョウのイラストを描いてみてください』と伝えます。子どもたちは「どんな感じだったかな」と記憶をたどりながら、チョウのイラストを描くと思います。中には、「完璧です」と自信満々に答える子もいます(この子は、自分一人だけの力では、チョウの体つくりには一切興味を示さなかったと思います)。その後に、『じゃあ、描いたイラストを黒板に貼りにきてください」といいます。しばらくすると、子どもは「?」となります。なぜなら、人によって、足の数や、体の数や、羽の数などが、バラバラだからです。こうなると、さっきは「完璧です」と答えていた子も、「えっ。どれが正解?」となります。これが、「自分の意見と友だちの意見を比べる」です。この後に、「じゃあ、調べたいことや疑問に思ったことは何?」と尋ねれば、自然と「チョウの体のつくりはどうなっているのかな」という問いが出てくると思います

「教材と教材を比べる」とは

 次に簡単なのは、「教材と教材を比べる」です。例えば、電池で走る車を2台準備します。このとき、形も大きさも導線の色も全部同じにします(電池の向きだけは変えますが…)。おそらく、子どもは、「同じ車が2台あるな」と思います。しかしながら、走らせると、1つは前に進み、もう1つは後ろに進みます。すると、子どもは、「えっ!」となります。これが、「教材と教材を比べる」です。この場合、どれか1つだけ条件を変えて、後は同じにします。そして、それを子供が視覚的に捉えられるような状態(目で見る、音で見る、風で感じる等)にしてあげると、自然と問いを見出します。

「自分のイメージと教材を比べる」とは

 最後が、あまり使いにくいかもしれませんが、「自分のイメージと教材を比べる」です。例えば、教師が『今から水の入ったペットボトルにきりで穴を開けます。どうなるとおもいますか?』と尋ねます。多くの子は、「穴から水が出る」と予想をすると思います。子どもたちは、普段生活をしていて、穴があいていればそこから水が漏れる様子を何度も見ています。そのため、「穴が開けば水は漏れる」というイメージをもっています。ですが、実際にやってみると、穴から水は漏れません。そのとき、子どもたちは、「えっ!」となります。私達は、普段の生活していく中で、それらの経験をつなげてなんとなくのイメージ(=素朴概念)をもっています。しかし、そのイメージは、必ずしも真実とは限りません。(例えば、重いほうが早く落ちるというイメージがあるが、実際は違う等)これが、「自分のイメージと教材を比べる」です。ただ、これが使いにくいのは、その後に出てくる問いがあまりにも難しいということです。上記のペットボトルの例だと、「どうして水は落ちてこないのだろうか」となると思いますが、これって子供の力で問題解決レベルではないと思います。だから使いにくいのです、

終わりに

 このように、授業の中で「比べる」という考え方を働かせたり、価値づけしたりすることで、子どもたちは、いつの日か、何かと何かを比べて自分で「問いを見いだす」事ができるようになるかもしれないなと思っています。そして、それは、決して放任ではできないと思います。教師が意図的に環境整備をしてあげ、地道にコツコツやるしかないのだと思います。みなさんにとって、何かの参考になれば幸いです。ありがとうがとうございました!

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