はじめに
自分は、良い授業とは「ねらいに達成できたかどうか」で決まると思っています。どんなに授業が活発であっても、子どもがわかっていないのであれば✕だし、どんなに静かであっても、子どもが分かっていれば◯だということです。だからといって、教師が一方的に話していれば子どもはつまらないだろうし、子どもが「楽しいな」って思うために、「主体的で対話的で深い学び」を意識して、授業改善をしていくことは必要だと思っています。
去年、自分の中で、1つ目指していた理想の授業があって、それは、「できるだけ教師が出ない授業」です。自分が尊敬している先生が、45分の中で3回しか喋らないのに、まとめまでしっかり落としていたんです。ほんとうの意味での「主体的で対話的で深い学び」を見せられた気がしました。それと同時に、「なんでこどもだけでこんなことできるん?」「すげぇ」「これできれば、教師はめちゃくちゃ楽だな」「自分もこんな授業してみたい」という風に感じました。
そして、自分も「できるだけ教師が出ない授業」を目指して、1年間チャレンジしてみました。分かったことは、とてつもなく高次元の授業をしていたということです。ハッキリいうと、自分はその域に達してないし、それを目指して、今も追いかけています。ただ、ぜひみなさんにも1度考えてみてほしいのです。「どうやったら子供の力だけでまとめまで行かせることができるのか?」っていうことをです。
ただ、自分はこれにチャレンジしてみたり、自分と向き合ったりする中で、いろいろなことを学ぶことができました。今日は、その中の1つである「視点を与える」ということについて、お伝えします。
教師の気づかせたいことに気づかない子どもたち
皆さんは、授業をしていて、子どもたちに気づかせたいけど、なかなかそこまで子どもたちが見てくれないという経験をしたことはありませんか?。例えばこんな場面です。
T:(よし。今日は、オクラの実をかんさつさせるぞ。オクラの実は、毛とかあるし、そこに注目できたらA評価にしよう。みんながきづけるように、じーっと観察させるぞ)
T:はい。では、今日はオクラの実の観察をするよ。じっくり見て、気づいたことをかいてみてね
C:(じーっと見る。きづいたこと発見!。よし3こも書けたぞ)
T:じゃあ、気づいたことをおしえて
C:色は、緑です
C:形は、長細いです。
C:大きさは、6cmでした
T:すごいね。よく見てるね
T:じゃあ、オクラの実の表面はどうでしたか?
C:?
C:ツルツル!
C:ザラザラ!
T:よく観察してねって言ったじゃないか。実は、こんな風に毛があるんだよ。じーっと見たら分かるから、次回はしっかり見てね。
C:はい
自分が「教師が出ない授業」を目指したときにぶち当たった壁は、まさしくこれです。「教師の求めているまとめを子供だけでできるようにするにはどうすればいいのか?」ということです。今回は、教師が「毛があるんだよ」って言うのを説明したから、子どもは気づきました。でも、これをこどもだけで気づいて、「オクラの実は、緑色で長細く、6cmくらいだった。実の表面には毛がある」というのを書けるようにするってことですよ。むりじゃないですか?
そんなとき、自分はある先生との出会いによって、「あ〜なるほど。子どもたちだけでできるんだな」と考え方を180度変えられました。
なぜ、表面の毛に気付けないのか
ちなみに、なぜ子どもたちは表面の毛に気付けなかったんだと思いますか?自分の中での答えは…
見ているようで、見えていないから
です
これって、実はわたしたちもそうなんです。簡単な例を出します。みなさん、「通勤中に電柱は何本ありますか?」ってきかれたら、これに答えられる人はいますか?ちなみに、ぼん先生は答えられません。絶対に、通勤中に電柱は目に入っているはずなんですけどね。でも、この記事を書くために意識して電柱を見てみたら、電柱は27本あることがわかりました。つまり・・・私達は、
たとえ視界に入っていても、意識してみないと見えない
ということです。こう考えると、子どもたちにとって表面の毛が見えないのは当然で、意識してないってだけの話なんです。
視点をあたえるについて
じゃあ、私達教員がしなければいけないことは何かって言ったら・・・
実験や観察の前に視点をあたえる
ということになると思います。これは、だいたい予想の時に行うのかなって思っています。
さきほどのオクラの実の毛についてで言えば、自分だったら、観察に活かせる前に…
T:今から、オクラの実を見るよ。オクラの実ってどんな姿をしていると思う?
C:緑色
C:ながほそい
C:10cmくらい
T:そっか。じゃあ、オクラの実の表面ってツルツル?ザラザラ?
C:ツルツルだと思う。だって、ピーマンはツルツルだったもん
C:いや、ザラザラ。だって、ご飯で食べるときにザラザラってしてたと思うから
T:自信ある?
C:なんか聞いてたら、わからんくなりました。
T:じゃあ、今日は、色、形、大きさ、表面の様子に注目して見てみてね
C:はい
といった感じにすると思います。すると、子どもたちは、毛に気づけるようになるということです。
ちなみに、もし子どもたちだけですすめたいのであれば、その後は、リーダーさんに司会をさせて、「分かったことはなんですか?」「まとめはどうしますか?」ってやれば、教師が出なくても、理想のまとめに落ちるということです。
つまり、「教師の求めているまとめを子供だけでできるようにするにはどうすればいいのか?」に対する答えは…
観察の前に、視点を与える
だと自分は思っています。だから、「導入」「中」「まとめ」の中でいえば、「導入」ですべてが決まるし、ベテランの先生が「初めの数分を見れば、授業の良し悪しが分かる」っていうのは、「視点が明確になっていれば落ちる」ってことを理解しているからだと思っています。
終わりに
いかがだったでしょうか?もちろん、教師の出ない授業を目指していなくても、今回の「視点を与える」っていう技は大事なことだと思います。
実は、ぼん先生の授業案には「視点を与える」っていう技をよく使っています。みなさんも、今までは気づかなかったけど、今回の記事を読んで「視点を与える」っていうのを知ったからこそ、ぼん先生の技が見えるようになったのではないかと思います。これこそが、まさに「視点を与える」ということだと思います。
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