はじめに
みなさんは指導案作り得意ですか?
自分はあんまり得意じゃないですし、何を書くか結構迷う派です。正直言えば、フルの指導案を書くのってめちゃくちゃ大変なんに、指摘されるのはだいたい略案のほうじゃないですか・・・だから極端なことを言えば「略案だけでもいいんじゃない」って思う派です。
ただ、フルの指導案を書くのがまだまだ主流なのが教育現場です。そのため、ぼん先生はどうすれば効率的に指導案をかけるのかなっていうのは常に考えてきました。そして、ある程度理科の指導案については整理ができているので、特に初任者の方や指導案を書くのが得意じゃない方に向けて、指導案の書き方の考え方をお伝えできればいいなと思い、このシリーズを始めることとしました。
今回は、「教材観、児童観、指導観の考え方」について紹介したいと思います。
※なお、理科を主眼において、説明しています。他教科でも活かせることもあるとは思いますが、ずれることもあるかもしれないのでその点はご了承ください。
教材観、児童観、指導観の関係について
さっそく1番のメインなんですけど、自分の中で「教材観、児童観、指導観の関係」はこのようになっていると思うんです。
こっからは、①教材観、②児童観、③指導観に分けて詳しく説明したいと思います。
教材観について
まず、教材観についてなのですが、教材観は要するに「この教材でつけたい力は何か?」ってことだと思うんです。授業は山登りに例えられることが多いのですが、イメージとしては山のゴールみたいなもんです。ゴールが決まってなかったらどこに向かわせればいいかわからなくなるじゃないですか?だから、「ここがゴールだよ(=これがつけたい力だよ)」っていうのを書く場所が教材観だと思っています。
じゃあ、そのゴールは何で決まるかと言うと、「指導要領解説」になります。指導要領解説にかいてあることをどの子にも身に付けさせることが私達のやるべきことだからです。そのため、教材観は指導要領解説を読んで、「あ〜こういう力をつければいいのね」って理解したものを書けばいいんだと思います。
児童観について
次に、児童観についてなのですが、児童観は要するに「どんな既有知識をもっているのか」ってことだと思うんです。そもそも、子どもは、全く知識をもっていない白紙の状態というわけではなく、日常生活の経験や本などからなにかしらの知識やイメージを持っている状態なわけです。
たとえば、6年の「生き物どうしのかかわり」で言えば、「生物の間には、食う食われるという関係があることを理解している」といった知識技能をつけることになっています。実際子どもたちは、普段から肉や魚や、パンなどを食べており、食う食われるの関係についてなんとなく分かっていることもあります。ただ、「豚が何をたべているのか?」「プランクトンが何を食べているのか」など分かっていないこともあるわけです。そういったように、今受け持っている児童がどんな知識をもっていて、逆にどんな知識をもっていないのかを書く場所が児童観だと思います。
これがなぜ必要なのかというと児童の実態によって授業の進め方が変わるからです。同じゴールだとしても、Aくん(人間はマグロを食べ、マグロは小さい魚を食べ、小さい魚はコ゚カイを食べ・・・)とBくん(人間はマグロを食べ、マグロは何を食べるのかをしらない)では、ゴールへの達成の仕方は変わるわけです。もっと言えば、クラスの中には、色んな子がいますから、どこの層が多いのかによってぜんぜん授業の流し方は変わるわけです。
指導観について
最後に指導観なのですが、指導観は「今受け持っている児童の実態(=児童観)を踏まえ、このゴール(=教材観)を達成するために、自分はどんな指導をしていくのか」を書く場所だと思っています。
たとえば・・・
教材観・・・生物の間には、食う食われるという関係があることを理解している
児童観・・・人間は、肉や魚や野菜などいろいろな物を食べていることを知っている
魚は何を食べているのかを知らない児童が多い
といったケースであれば、「魚や豚などが何を食べているのかをクロームブックで調べさせて、生き物のつながりマップを作らせる。」「そのマップをもとに、多くの動物に当てはまることを考えさせる。」「その意見を共有させ、多くの動物は食べたり食べられたりしている。人間は食べるだけである。植物は食べられるだけであるといった事実にきづかせる」などをすれば、ゴールにたっせいできそうじゃないですか?
ですが、これが…
教材観・・・生物の間には、食う食われるという関係があることを理解している
児童観・・・人間は、肉や魚や野菜などいろいろな物を食べていることを知っている
魚は何を食べているのかを知っている児童が多い
といったケースであれば、「クロームブックで調べる時間を削って、いきなり生き物のつながりマップを見せ、それをもとに気づいたことを交流させたりする」いった流れでゴールに達成できそうじゃないですか?ほんで、浮いた時間を別の力を入れたい単元にあてればいいということになります。
こんな風に、自分はどんな風にゴールまで児童を連れて行くのかの工夫や流れを書くのが指導感になるんだと思います。
終わりに
こういう風に考えれば、「教材観、児童観、指導観」もある程度必要なんだろうなとは思います。(まあ、自分はあんまり書くのが得意ではないので、略案だけにしてほしいのですが・・・)
短く言えば、「どんなゴールを、どんな児童に、どのように達成させるか」を書くのが「教材観、児童観、指導観」になるんだと思います。
そして、最終的に、授業をして…
といった状態であれば、いい授業であると判断できます。
逆に、授業をして
といった状態であれば、「さらなる研鑽を積まないといけない」ってことだと思います。
これが、ぼん先生の「教材観、児童観、指導観の考え方」です。参考になれば嬉しいです。
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